冬の道(シル川の道)

ポンフェラダからサンティアゴまでの263kmの距離を持つ冬の道は、2016年に正式に認定され、最後に復元された中距離の巡礼路の1つです。巡礼事務局のデータによると、2019年には1,035人の巡礼者が通過しました。これは1年で47%の伸びとなっています。

このルートは、エル・ビエルソからガリシアへの最も古い中継路で、ローマ人がシル川から金を採取することを目的として通した、Via XVIIIノバ)の道であった可能性があります。当時の大規模な鉱山活動の痕跡が見事に残っているルートです。

このルートの推進者が主張するには、オ・セブレイロを通るフランス人の道に雪が降ったときに巡礼者が代替案として選んだのだ、とのことですが、確たる証拠はありません。オ・セブレイロよりも高く、通過が難しいフォンセバドンを越えなければならないという事実を考えるだけでも、その可能性は低いといえます。ですから、シル川の道(CAMINO DEL SIL)という名前の方が正しいのです。

このルートが常に少数派であったことを考慮しても、巡礼者たちが病院や修道院、そしてモンフォルテ・デ・レモスに代表される重要な町で支援を受けていたことは確実でしょう。

冬という言葉から、坂がないと誤解されることがありますが、実際にはありますし、出発直後から連続しています。実際、簡単な行程は、バルデオラス、および最終行程、つまりテーラ・デ・デサやオウレンセの道との合流後の行程だけと言えます。

ポンフェラダを出たら、谷に沿って進むのではなく、コルナテル城やラス・メドゥラスへと登っていくルートを選択する方が良いでしょう。ア・ルーアの後、シル川は部分的に流れが狭くなるので、川岸の斜面を登ることになります。その後、ロール川の谷、カベ川の谷、そして深い谷あいのミーニョ川の谷を乗り越えなければなりません。最高地点は、1,100mの高さを超えるモンテ・ド・ファロへの登頂です。

春や秋に歩くことができれば賢明な判断だと思われる道を、なぜ冬の道と呼ぶのでしょうか。(夏は暑さで、まるで銀の道にいるかと錯覚してしまいます)。この呼び方は私たちの敵が考案したもののようです。

自然という点では、このコースは最も恵まれた旅程のひとつであり、原生林(栗の木、オークの木)や植林された森林、川岸(黒ポプラ、ハンノキ、柳、ポプラ)などの広い範囲を通っており、最終区間のデサとトラスデサ(シジェーダ)の牧畜地域には草原が広がっています。

景観の多様性についても同様で、最も特徴的な要素はシル川とミーニョ川の峡谷であり、その斜面を貯水池と段々畑が占めている壮大な景観であると言えるでしょう。

その豊かな遺産は、他のルートと比べても際立っています。というのも、鉱山やローマ街道などの史跡(1997年に世界遺産となったラス・メドゥラスやモンテフラド)に加えて、リベイラ・サクラには中世の修道院が多く存在し、2021年にユネスコの世界遺産認定ではスペインにおける候補地となっているからです。

また、ビエルソ、バルデオラス、そして特殊なブドウ栽培の代表であるリベイラ・サクラの3つのワイン産地が狭い地域に集結しており、ゴデジョ種の白ワインとメンシア種の赤ワインが楽しめることから、ワイン観光に欠かせない目的地にもなっています。また、エル・ビエルソと・ウジョアでは栗の生産が盛んで、ラリンとシジェーダでは乳製品と食肉の生産が盛んです。

農道や古い道の中には、かつてのローマ街道(ベレサールの肘)であった部分も存在し、アスファルトで舗装された道もバランス良くあるので、巡礼者にとっては安心感があります。しかし、既存の車道に平行する歩道の整備が待たれる所です。

弱点のひとつは宿泊施設で、特にアルベルゲの数が少なく、他のルートに比べて普及率がかなり低かったのですが、巡礼者の数が増えるにつれ、その不足分は解消されつつあります。また、伝統的な行程の終点は大きな町(オ・バルコ、ア・ルーア、キローガ、モンフォルテ、チャンターダ、ラリン)であることが多く、宿泊施設をニーズに合わせて補完的に供給することで当面は事足ります。

冬の道は、ガリシアの4つの州をオウレンセ、ルーゴ、ポンテベラ、ア・コルーニャの順に全て通過するのも興味深いです。

このルートは、各自の歩く距離にもよりますが、10日から12で終えることができます。ただし、宿泊施設の場所によっては、30km程度の長い行程もあれば、15km程度の短い行程もあることを知っておくと便利です。出発やモンフォルテまでの移動に1日、到着の1日を含めると、約2週間の計算になります。

 

ポンフェラダへの行き方

列車を利用する場合、バルセロナ、サン・セバスティアン、マドリード発ガリシア方面行きの列車、逆方向だとア・コルーニャ、サンティアゴ、ビーゴ発の列車を使います。いずれも乗り継ぎなしで行くことができます。レオンからの路線もあります。www.renfe.es

バスの方が安くて早いです。長距離バス会社ALSA は、マドリードからガリシアへの高速バスを運行しています。毎日数便、所要時間は45時間です。一部はアドルフォ・スアレス空港-T4、またはモンクロア・インターチェンジから出発し、ほとんど南駅(エスタシオン・スール)から出発します(2030ユーロ)。また、レオンからは1時間30分~2時間10分(6.409.55ユーロ)、アストゥリアスからは3時間(オビエド発、1823ユーロ)と、1日に数本の便が出ています。サンティアゴ・デ・コンポステーラからは、常にア・コルーニャ経由で、14便、3時間40分~4時間30分(19ユーロ)です。ア・コルーニャからは18便、最速で2時間30分(17ユーロから)で運行しています。

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ポンフェラダ – オ・バルコ・デ・バルデオラス間(55km)

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この道は、ポンフェラダの少し手前からスタートします。そしてマスカロン橋を越えてボエサ川を横切ります。(フランス人の道)。公営アルベルゲ近くのエリアに大きな石碑があり、それがスタート地点の目印です。そしてその地点まで戻ることになります。ボエサ川は、すぐにシル川に流れ込みます。それが私たちのルートの最初の通過点となります。

ポンフェラダの新エリアで宿泊し、ボエサ川の橋まで遠回りしたくない場合は、クベロス橋とアベニダ・デル・カスティージョ通りの橋のいずれかから、シル川に沿った散歩道を通って下流に向かうことができます。歩道橋を見つけ、それを渡れば、川の南岸に沿って続く冬の道になります。

シル川のポプラの木立を通る美しいルートを過ぎると、南に向かってトラル・デ・メラジョや谷間の他の村を通り、すぐに国道N 536号線という居心地の悪い仲間と一緒になります。ブドウ畑沿いに歩くことになります。

サンタジャ・デル・ビエルソからパハリエル山を経て、サンティアゴ教会やコルナテル城のあるビジャビエハまでの厳しい上り坂が始まります。かなり遠回りになります。国道の方が近道ですがお勧めしません。危険ですし、城への訪問を逃してしまいます。

ボレーネスまで下り、カルセードの南側でラス・メドゥラスに向けて再び登りますが、今回はより緩やかな道のりです。約2千年前から保たれている文化的景観は、ローマ、金鉱、奴隷労働の時代へと私たちを導きます。しかし、これは運河や沈殿池をはじめとする非常に広範な考古学的に関連する地域の中心部に過ぎません。

 

プブリウス・シルスは「金は金への渇きを増すが、癒すことはできない」と言ったが、真の金とは時間であり、買うことも売ることもできない唯一のものであることを、巡礼者は知っています。

 

ラス・メドゥラスからは森の中の道を6kmほど下り、ラ・カブレラの谷へ到着します。そこでシル川と合流します。プエンテ・デ・ドミンゴ・フローレスの町を横切って、プマレス貯水池のダムの横でガリシア州に入ることになります。

この道には、ローマ人が大規模な河川工事をしたり、山を切り開いたりして、金を採掘したという証言が次々と出てくる。

常にシル川の近くを通り、鉄道と一緒に、微気候の結実ともいえる典型的な地中海の植物の中を、スレートの採石場を見ながら、ソブラデロとエントマを通過し、旧市街を通って・バルコ・デ・バルデオラスに入ります。

もし・バルコの公営アルベルゲに泊まるのであれば、町や巡礼路から3km北のシャゴアーサにあることを考慮に入れる必要があります。美しい場所、ブドウ畑のある人里離れた谷、その古いサン・ミゲル修道院は現在ワイナリーになっていますが、迂回はちょっと考え物です。もっとも、その翌日には合流ルートを経由してルートに戻ることはできますが。

 

おすすめ

ローマ時代の砦の上に建つコルナテル城(旧ウルベル城)を訪れます。この城はテンプル騎士団に属していましたが、後にはレモス伯爵、ビジャフランカ侯爵に属していました。ありがたいことに、巡礼者は入場無料です。カルセード湖とラス・メドゥラスをはじめとする、ビエルソ地方の風景はとても素晴らしいです。www.priaranzadelbierzo.org/castillo-de-cornatel

考古学教室やビジターセンターでラス・メドゥラスへの訪問方法についてすでに説明を受けている場合は、粘土質の山の上に沈む夕日(天気次第ですが)を楽しむのに適した場所を探してみましょう。ラス・メドゥラスでは、樹齢数百年の栗林の中を、アス・バリニャスの道に沿って3.5km周回するガイドツアーが企画されています。www.espaciolasmedulas.es

使うことはありませんが、ソブラデロにある7つのアーチを持つ橋は、何度も行われた補修工事の手法によって様々な種類の素材が使われており(赤い石が使われている箇所があります)、見る価値があります。中央のアーチは、ナポレオン軍の進撃を食い止めるために爆破されました。

この大きく活気のある町・バルコの象徴ともいえる、シル川沿いの散歩道パセオ・ド・マレコン(Paseo do Malecón)を歩いてはどうでしょうか。おいしいタパスを提供するストリートカフェが川沿いに並んでいる、素敵なところです。また、小さな旧市街、そして400人以上のメンバーを擁する偉大な協同組合ワイナリー、ヘスス・ナサレノ(Jesus Nazareno)などがこの町を訪れる人を待っています。バルデオラスのワインを味わうことは、ほとんど義務のようなものです。www.concellodobarco.org

オ・バルコ・デ・バルデオラス – モンフォルテ・デ・レモス間(74km)

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ビラマルティンを中心に、オ・バルコと・ルーアの間にあるシル川渓谷とブドウ畑の道が続きますが、今度は鉄道が近い場所だけでなく、危険な国道N120号線や国道N536号線も通過します。

この問題が解決しないうちは、国道N536号線経由でア・ルーアに入る際にはとても気を付けなければいけません。路肩がないので、巡礼者が通る道には相応しくありません。危険地域です。ご注意を!

シル川に沿ったこの素晴らしいルートは、今はまだ平和の楽園ですが、その美しさから、主要なルートの1つになる運命にあります。 ビエルソ、バルデオラス、リベイラ・サクラの3つのワインの産地を横断することがお勧めです。お楽しみに!

・バルコよりもさらに濃厚なワイン文化が育つ街、ア・ルーアを後にして、ブドウ畑やオリーブの木を見ながら坂を上っていき、アルバデロスを経てルーゴ県に入ります。モンテフラドでは、ローマ人が山に掘った大きなトンネルを遠くから見ることができます。

この区間ではシル川の流れが急になるため、茂みが点在する斜面を上り下りすることになります。シル川とビベイ川の合流点で、道は北に曲がり、古い製油所のあるベンディジョに向かい、かつては聖ヨハネ騎士団に属していた城の横を通ります。

 

オリーブオイルとワインは最高の癒やし。(ことわざ)

 

谷間の広がりの中に、キローガの村があります。旅の終わりの地点であり、オ・コウレルの山々の南側の入り口であり、同時にリベイラ・サクラの入り口でもあります。

キローガからは、隣町のサン・クロディオにいくために川を渡る必要はありません。無駄に時間がかかるだけです。

大きな蛇行を描くシル川の谷に沿って、ノセドまで進みます。ここで、ポンフェラダから私たちを導いてくれた川から離れ、松林を通ってオス・レメディオスの庵までの長い上り坂を進み、その後、バルシャ・デ・ロールまで下り、橋を渡ります。国道N 120号線は、ロールの急な谷間の斜面を高架橋で回避しており、バルカルセのフランス人の道と同じようなイメージです。

新たな登りでカストロンセロスに到着すると、そこからはテラ・デ・レモスという地域で、モンフォルテの台地が始まります。下り坂の途中には、ローマ時代の鉱山オス・メドスのほか、サア川が水源の小さな自治体(concello)の中心の街・ポブラ・ド・ブロジョンがあります。川の脇を通ってサン・ロレンソのカストロ(要塞集落)近くまで行きます。

モンフォルテの盆地に到着するまでに、carballeira(オークの木立)を抜けた後にあるアルト・ダ・セーラにもなだらかな坂があります。中世の塔がそびえ立つ小さな古代の町を眺めながら、リオセコとアス・クルーセスの近隣を通って中心部に近づきます。線路を越えると、ルーア・ド・コメルシオを通ってモンフォルテ・デ・レモスの旧市街に入ります。

 

おすすめ

ベンディジョでは、サン・ショアン・ダス・ファラパス礼拝堂で休憩することができます。礼拝堂の名前は、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の屋根にある十字架に似ており、古着をつるすのにつかわれていたことにちなんでいます。その隣には18世紀に作られた製油所があり、今でも現役で活躍しています。

もうひとつの象徴的な場所は、シエッラ・デ・オ・コウレルから流れてきた純水の急流によって形成された峡谷の底にあるバルシャ・デ・ロールです。ローマ時代に作られ、16世紀に再建されたこの橋は、少し尖った大きなアーチを持ち、川底の石で敷き詰められています。

モンフォルテには、芸術が好きな人なら一日立ち寄りたくなるだけの魅力があります。1.この地域を見渡せるモンス・フォルティスに登ると、そこには天守(見学可能)と、パラドールになっているサン・ビセンテ・デル・ピノ修道院と伯爵の邸宅があります。2.古い橋と、グレゴリオ・フェルナンデス、金細工、聖遺物箱などが展示されている優れた宗教芸術博物館(ムセオ・デ・アルテ・サクロ)のある聖クララ修道院(17世紀)にお立ち寄り下さい。3.ガリシアのエスコリアルと呼ばれるコレヒオ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・ラ・アンティグア(またはコレヒオ・デル・カルデナル)に入ります。16世紀から17世紀にかけてイエズス会が所有していた広大な建物で、創始者D.ロドリゴ・デ・カストロの墓があるドーム屋根の寺院や、エル・グレコの2作品を収容する博物館があります。4.都会の憩いの場であるコンデス公園(パルケ・ドス・コンデス)で軽食をとりながら、カベ川のほとりを散歩してみませんか。5.ワイン博物館D.O.(デノミナシオン・デ・オリヘン)リベイラ・サクラの知識を習得しませんか?6.そしてもちろん、旧市街にはタパスを食べに行き、ローマ風の名前のワインを試飲すれば、最高の締めくくりとなるでしょう。

モンフォルテ・デ・レモス – ラリン間(78km)

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モンフォルテとチャンターダの間にあるリベイラ・サクラは、天然記念物であるシル川とミーニョ川の峡谷、その名の由来となった中世の修道院や寺院の密集地、そしてワイナリーが点在するソカルコス(段々畑)で行われている特殊なブドウ栽培という3つのユニークな要素が組み合わさった壮大な景観です。

 

この修道院では、私たちは荷物を持たずに旅をする旅行者です。(エルネスト・カルデナル)

 

リベイラ・サクラを横断する。修道院のあったところで、ロマネスク美術の比類ない宝庫だ。

聖クララ修道院から、伝統的なルーア・ドス・アベレードスに沿って街の端まで行くと、巡礼者に捧げられたラウンドアバウト(彫刻)があります。CG2.1号線を2回渡ると、気持ちの良い田園風景の中に、庶民的な建築物やロマネスク様式の寺院が次々と現れてきます。その1つが、サン・サルバドール・デ・モレダです。

緩やかな上り坂では、レグエンゴの荘園やオークの木立を通り、この地域の農村観光の先駆者であるトーレ・ビラリーニョの家の近くにあるミーニョ峡谷に近づいていきます。

ミーニョ川に到着する前に、チャンターダを目前にして、ディオモンディ教会のすぐ近くを通ります。ここからは、このルートの不思議な瞬間の1つである、ローマ時代のヴィア・ノバに沿ってブドウ畑の中を下る道が始まります。コドス・デ・ベレサールと呼ばれる地域です。

この道の中で最も困難な区間は、ローマ街道に沿ってベレサールまでのジグザグの下り道で、雨が降るととても滑りやすいです。もう1つの困難な区間は、その後のチャンターダへの登りで、本当に急な坂道です。杖がなければ歩くのがおぼつかないかもしれません。

桟橋の横からミーニョを渡り、チャンターダに行くためには、ワイナリーヴィア・ロマーナの前から、それまでに下った分を登る急な坂になります。頂上には、旅程から少し離れたところに、ロマネスク様式の教会とルネッサンス様式の回廊があるサン・サルバドール・デ・アスマ修道院があります。小さな旧市街であるチャンターダの中心は、プラサ・ド・メルカードです。

チャンターダとロデイロまでのルートは2つあります。1つは、本物の峠道を通り、巡礼者の道に沿って、標高1,153mのガリシア中央部の絶景ポイントであるファロ山のチャペルに登る公式のもの、もう1つは、コンポステーラを思い浮かべる人にとってはより論理的なもので、ペナシジャスから出発して北上しますが、ルーゴとポンテベドラを分断するファロ山を越えなければなりません。

チャペルからは、カベサ風力発電所に向かう標識に沿って進みます。CG-2.1号線とPO 533号線の道路が交差する地点では、南側のバイパスに入ります。そして落葉樹が多いテラ・デ・カンバに沿って進みます。まずカンバ荘園を、そしてカンバの礼拝堂を通過して、ロデイロに至ります。

ラリンを首都とするテーラ・デ・デサでは、牧草地と落葉樹林が混在しており、畜産業が盛んであることが見て取れます。巡礼路は、アルネゴ川(何度も交差します)の谷間を通り、ア・ポンテ・デ・ペドローソから起伏の多い地域を経て、ラリン・デ・アッリーバと、サン・マルティーノのロマネスク様式の教会の横を通って隣にあるラリンという小さな街に辿り着きます。

渓谷の急斜面の間を川が流れ、人々が忍耐強くブドウの段々畑を作っていった、壮大な地域です。

全ての地域でインゲン豆を料理しますが、ラリンほどに肉を良く料理する場所は非常に少ないです。ガリシア風コシードのメッカであり、さらに、位置的にもラリンは、マドリードならばプエルタ・デル・ソル(太陽の門)に相当するような広場やシンボルを持つガリシアの中心地に位置しています。

 

これはラリンで祝われている司祭料理で、ジャガイモやヒヨコ豆、野菜やカブ菜、そして牛肉や鶏肉が入っていますが、何よりも豚への敬意を表しています。頭、鼻、耳、ラコン(肩や脚のドライハム)、スペアリブ、背骨、尻尾、豚バラ、ラード、チョリソーなどがあります。(アルバロ・クンケイロ)。

 

おすすめ

アバディア・ダ・コヴァのワイナリーに隣接し、カボ・ド・ムンドの有名な蛇行を見下ろすロマネスク様式のサン・マルティーニョ・ダ・コヴァ教会と、リベイラ・サクラの数ある教会の中でも代表的なロマネスク様式のサン・パイオ・デ・ディオモンディ教会に立ち寄ることを勧めします。

ベレサールには、オス・ピアレス貯水池につながるミーニョ川の峡谷を巡るカタマラン船・ツアーが出発するリバークラブがあり、魅惑的な場所でもあります。今しかありません。チャンターダに出発してしまったら後戻りするチャンスはないかもしれません。ルートは往復で2時間、料金は9ユーロ(4月から12月の祝祭日まで)で、予約が必要です。カボ・ド・ムンドの蛇行に沿って航行します。http://reservas.rutasembalses.es

チャンターダまでの登り道では、ワイナリー・ヴィア・ロマーナに立ち寄り、施設の見学とワインの試飲をしてみてはいかがでしょうか。www.viaromana.es

チャンターダに到着したら、1990年にガジェゴ・ホレトによって見事に修復され、国家建築賞を受賞したカソナ・デ・レモスに設置されたカルチャーセンターを訪れ、スタンプを押してもらいましょう。

www.concellodechantada.org/spa/educacion_casa_cultura.htm

ファロ山に登ることを選んだのなら、400mほど迂回して、1700年に建てられた非常に地味で軍事要塞のような外観を持つマリアーナ礼拝堂に行かないのはもったいないことです。敷地内には休憩所があります。

もちろん、季節を問わず、またアストルガ風のコシード(スペイン風ポトフ)をラリンのレストランで試してみてください。食べ応えがありカロリーの高い料理ですが、私たち巡礼者は食欲旺盛なので、歩きながらすぐに消化してしまいます。地元では、カーニバルの前に、国際観光推進をかねてコシードをアピールするイベントが行われます。http://feiradococido.lalin.gal

ラリン – サンティアゴ・デ・コンポステーラ間(56km)

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そろそろ冬の道は終わりを迎えます。ラリンからの最後の一歩は、河岸公園のあるポンティナス川の流れに沿って進み、ラリン2000という名のビジネスパークを通り、AP 53号線の下をくぐり、A Laxeというアルベルゲでオウレンセの道に合流します。

冬の道の最後の区間には、非常に危険な交差点があります。オテル・トーレ・デ・デサが国道N525号線に面しているところの交差点です。

銀の道と呼ばれているオウレンセの道は、巡礼者の数が比較的少ないルートなので、恐れることはありません。静かに通行することができます。

自生する森と、チーズ工場の前を通り過ぎてデサ川へ下る道は旅程の中で最も美しいスポットのひとつです。碑文によると912年に遡る古い単アーチ型の橋は、ポンテ・タボアーダに架かる4つの橋の中で最も古いものです。ここからがかつてのテラ・ド・トラスデサの始まりでした。

国道の隣には、ロマネスク様式の扉を持つタボアダ教会があります。  シジェーダに到着する前に、そのビジネスパークのそばを通る必要がありますが、その後すぐにトラスフォンタオのcarballeira(オークの木立)を楽しみながら、南側から近代的な町にアクセスします。

起伏に富んだテラ・ド・デサ地方には、ガリシア地方最大級の牛や豚の群れが放牧されており、シジェーダでは大規模な農畜産物の見本市が開催されています。

 

カステラオが平和の象徴として牛を選んだのは、その優しい眼差しのためでしょう。それに、鳩より人間への貢献度が高いですから。

 

町を出て国道N525号線を何度か横断しながらヌデサ工場まで行き、そこでアスファルトの道路から離れて、トクサ川をア・ポンテ・デ・ペドラで横断する美しい道を進みます。ほどなく、(ヴィラガルシア・デ・アロウサ)に向かう国道N 640号線、AP 53号線を通過して、何の変哲もないバンデイラの町に入ります。

国道の北側を下ってビラリーニョを通過し、半円状の後陣を持つロマネスク様式のサン・マルティニョ・デ・ドルネラス教会(12世紀)の横を歩きます。遠くにはピコ・サクロの山が見え、ゴールが近いことを表しています。

森の中を長く歩くと、ローマ時代以前の集落があったことを示す地名であるオ・カストロへと下っていきます。ウーリャ川に向かって急な坂を下っていくと、サン・ショアン・ダ・コヴァの岩壁とそれを横切る列車の2つの高架橋が見えてきます。

ウーリャ川を越えてア・コルーニャ県に入ります。手入れの行き届いたポンテ・ウーリャ村では、椿のモニュメントが私たちを迎えてくれます。ある家の古い柱頭は、料理されて食べられる寸前だった3人の巡礼者をサン・ニコラスが救ったという奇跡がテーマになっています。

ウーリャ川の北の斜面を再び上り、ビスタ アレグレの荘園を通り過ぎ、再び幹線道路を横断してオウテイロまで行くと、サンティアギーニョの礼拝堂と、ピコ・サクロの伝説を暗示する碑文が刻まれた1676年製のバロック様式の噴水があるほか、立派な公営アルベルゲがあります。

 

実際、彼らが山の端に足を踏み入れたとき、突然、巨大な竜が、洞穴から出てきて、神の使いである聖人たちに向かって炎を噴きつけ、彼らを焼き殺そうと攻撃してきたのです。(カリクスティヌス写本、第3巻)

 

競合種のないユーカリが一体に繁栄してている広大な森林地帯を抜けると、クルセイロ(十字架碑)があるレステドやルイバル(パソ)へと続いています。街の周辺地域では、新しい住宅地や農地が広がり、都市化が進んでいます。

国道N525号線の反対側に、中世の美しいブサコス橋がある古いルートがありますが、その代わりにサラモ川を渡ってア・スサーナに向かいます。その直後、ビショイからサンティアゴ自治体の境界が始まり、魅力的な橋とサンタ・ルシア礼拝堂のある街は訪れる人を驚かせてくれます。

最後の上り坂では、AP9号線の下をくぐり、2013年に悲惨な列車事故が起きた運命のカーブであるアングロイスのAVE鉄道の線路を越えて、ピニェイロに向かいます。ここでは、複合施設シダーデ・ダ・クルトゥーラ(文化都市)や、大聖堂に塔を持つサンティアゴ・デ・コンポステーラを間近に見ることができます。

カルサダ・デ・サルを下ると、ロマネスク様式の元大学教会があり、中に入って傾斜した柱を見ることができます。カストロン・ドウロ通りに沿って、城壁の唯一の現存部分であるポルタ・デ・マザレロスを通って旧市街に上がると、かつては城壁の街があった場所に辿り着きます。プラサ・ダ・ウニベルシダデ、カルデイレイリア、クセルミレスを進み、最終的にプラテリアス広場からカテドラルに到達すれば良いでしょう。

 

おすすめ

シジェーダでは、1870年以来親しまれている、Tábora(コンフィテリア・タボラ)の有名なロスキージャス(スペイン風ドーナツ)をぜひお試しください。その他、メリンドレス、ロスキージャス、ガレギニャス(クリーム、ココア、バターを使ったビスケット)、アップルパイ、アーモンドケーキなどがあります。http://galeguiñas.com

ウーリャの鉄道高架橋は、自然と工学が融合したスペクタクルです。この花崗岩の切り口には、サン・ショアン・ダ・コヴァの修道院がありました。20世紀に入り、最初の橋が架けられたときには大きな変化がありました。1956年に完成した石を敷き詰めた金属製の構造は、周囲の環境と調和しているのが特徴です。2008年には高速鉄道AVE用の第2高架橋が建設され、2011年にはスペイン技術者協会のサン・テルモ賞を受賞しました。前作にヒントを得て、長さ630m、高さ117mと、スペイン国内で最も高い鉄道用高架橋です。

標高535mピコ・サクロは、様々な理由で象徴的な山です。言い伝えられてきた伝説の舞台はイリチーノ山で、女王ルパに騙された聖ヤコブ(サンティアゴ)の弟子たちが、使徒の遺骸を運ぶ荷車に牛を繋ぐために旅した場所だそうです。しかし、実際には彼らは野生の闘牛であり、そこに棲む危険な竜を倒すことを最初に強いられたのだそうです。頂上には司教冠の要塞化された塔があり、ドニャ・ウラカ通りと呼ばれる鉱山の開口部や、サン・セバスティアンの礼拝堂が保存され、聖地となっています。非常に純度の高い水晶があったため、採掘場所となり、また雷を引き寄せると信じられています。山頂に雲がかかったら、もうすぐ雨が降るというお知らせです(Cando o Pico Sacro cubre o seu capelo, meniñas do Ulla collede o mantelo」)。巡礼路からは約2km離れており、途中には観光案内所のある解説センターがあります。オウテイロで一泊するなら、登ってみることをお勧めします。誰よりも先に大聖堂の塔を見ることができるからです。www.boqueixon.com/pico-sacro

– 1829年に建てられたサンタルシア礼拝堂の周辺には、川、橋、噴水、製粉所、十字架、石畳の道、並木道など、小さなオアシスのようです。これまでもそうしたように、ここでも休憩してみましょう。