ポルトガルの道(海岸ルート)
ポルトガルの道(海岸ルート)は、完全なルートではありませんが、南からポルトに向かう場合に選択できる迂回路のひとつです。コンポステーラまでは、最短の迂回路で約270km(ポルトガルで108km、残りはガリシア州)の移動が必要となります。
ドウロ地方にあるポルトガル北部最大の中心都市であり、今日、数多くの国際便が発着するサ・カルネイロ空港の存在によって恩恵を受けています。
これらの事情に加え、海という魅力のおかげで、このルートは近年最も急成長しており、フランス人の道、ポルトガルの道(内陸ルート)に次いで3番目に人気のルートで、巡礼者数は全体の6.4%を占めています。
ポルトガルでは(中世ではなく)16世紀以降に注目されるようになっていましたが、ガリシアではつい最近まで巡礼者がミーニョ川を遡ってヴァレンサに行き、トゥイを経由して進む傾向がありました。歴史の長さでは特筆する点はないルートです。
砂浜に沿って、漁師や貝拾いをする人たちが使っていた歩道や遊歩道、小道などを通っていく伝統的なルートと言われていますが、歴史的なものやサンティアゴに関係するものはほとんどなく、むしろ観光客向けの新しいカミノ・デ・サンティアゴ(サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路)の概念に対応しているルートといえるでしょう。にもかかわらず、ガリシア州政府は、何らかの理由で2016年に公式に巡礼路として宣言し、その成功は否定できないものとなりました。
海辺では、海の偉大さに自分自身を小さく感じ、かたや、まだ都市化されていない自然との親密な交わりの中では、自分自身を大きく感じられるかもしれません。
その最大の特徴は、少なくともヴィラ・ド・コンデからは常に海岸近くを進み、ミーニョ河口を越え、ガリシア最大の都市ビーゴを経て、レドンデラで内陸ルートに合流する点です。
海が近いため天気が荒れやすく風の影響を受けるものの、坂道がほとんどなく、最も歩きやすいルートの1つです。問題となるのは、地形的に歩きやすいルートであるため、特にビーゴ周辺では巡礼者が密集しがちな点です。
砂浜を中心に遠くまで続く海岸線の風景を思うと、その魅力は否定できません。ア・グアルダの漁港、オイアの修道院、バイオナの記念碑的な町、ビーゴの大都市部など、歴史的建造物も充実しています。
巡礼の人気が高まるにつれ、既存のビジネスも巡礼者に合わせたものになってきているものの、バイオナやビーゴには公営アルベルゲがなく(ビーゴでは建設中)、特定の受け入れ態勢にはまだ大きなギャップがあり、この分野での民間の取り組みも目立ってはおこなわれていません。
平均的な行程で進むと、ア・グアルダとレドンデラを結ぶ80kmの海岸沿いのルートは、主要な町に立ち寄る時間を含めて4日間で終えることができます。レドンデラからサンティアゴまで内陸ルートで行くと、さらに4日かかります。
カミーニャ/ア・グアルダへの行き方
ポルトは交通の便が良いので簡単ですが、行く時間がとれず、最終行程しか行けない場合は(ヴィラ・ド・コンデやヴィアナ・ド・カステロなどの美しい歴史的な町を見逃すことになります)、少なくともカミーニャからミーニョ川を渡ることをお勧めします。ポルトガルの道をポルトガルを通らずに辿っても、まったく意味がないからです。
– ポルトからカミーニャに行くには、カンパニャン駅から電車で1時間30分、7ユーロ (www.cp.pt)から、またはもっと便数が多いのはRede Expressos(レデ・エクスプレス)バスで、Campo 24 de Agosto(カンポ 24 デ・アゴスト)駅から1時間30分から2時間15分、9.5ユーロ です。また、サ・カルネイロ空港(OPO)からもバスが出ています。 一番早いのは、ヴィアナ経由、Andrade Express(アンドラーデ・エクスプレス)、約1時間15分、10ユーロからです。
– 飛行機でペイナドール空港(VGO)に到着した場合、ビーゴへはルート9Aのバスで行くことができます(月~金、5:55~23:07まで30分おき。土、6:40~23:07まで30分おき。日、9:30~14:30まで1時間おき、15:00~23:00までは30分おきに運行)。料金は1.35ユーロ、Travesía de Vigo(トラベシア・デ・ビーゴ)で下車すると1km先のバスターミナルまで徒歩で移動、Vigo Guixar(ビーゴ・ギサール)に行きたい場合はRepública Argentina(レプブリカ・アルヘンティナ)で下車、700m徒歩(www.vitrasa.es)、またはタクシー(22ユーロ)。
中心部にたどり着いたら、鉄道かバスでヴァレンサに行き、カミーニャ行きに乗り換えます。ヴァレンサ行きの列車は1日4便、2時間以上。ヴァレンサからカミーニャまでは1日7便、8~14ユーロ、Rede Expressos(レデ・エクスプレス)は1日1便、13:30初、9~20ユーロ、約2時間です。
ビーゴからア・グアルダ行きトゥイ経由または場合によってバイオナ経由のバスは、ATSA、Tel:+34 986 610 255)、所要時間は1時間15分、6.05ユーロ、週末は便数が極端に少なくなります。
– カミーニャでは、ミーニョ川の河口を1時間ごとに渡るフェリーSanta Rita de Cássia(サンタ・リタ・デ・カッシア)に乗りましょう(8:00~13:00、14:00~19:00、7月と8月は20:30まで、1.5ユーロ)。干潮時には運休です。運行情報は、カミーニャ観光案内所、Tel:+351 258 911 348、または、ア・グアルダ観光局、Tel:+0034 986 614 546、までお問い合わせください。所要時間は約20分で、ガリシアの巡礼路を示す最初の標識が現れるア パサセ(カンポサンコス)で下船します。
tramos
カミーニャ – ビーゴ間
カミーニャ – ビーゴ間(61.2km)
descripción
ミーニョ峡谷(ポルトガル語でfoz del Miño)を越えると、それが、戦争、密輸、貿易、共存、協力、巡礼などの、あらゆる種類の歴史的な変動を生み出してきた文化的な境界線ではなく、物理的な境界線であるという事実に気が付くことでしょう。出発地をカミーニャにしたのはそのためです。
現在とは、過去と未来が出会う地点であり、時間の境界線ですが、現在によって結びついている過去や未来と質的に異なるものではない。(エーリヒ・フロム)
ガリシアに下船したら、ガリシアで最も広大なカストロ(要塞集落)跡が残る有名なサンタ・テグラ山の麓を回り、ア・グアルダの漁村に到着します。
ア・グアルダからは、岩場が多くごつごつとした海岸線を進み、最初に古いロブスター養殖場の横を通り、海の端にある珍しい修道院が目印となっているオイアの町まで行きます。
同じく荒れた道からポルト・モウガスの桟橋を通過し、シレイロ岬とその灯台を目前にしながら古代の道路を登り、山を越えて、のどかなバイオナに到着します。
13世紀に建てられたラマジョサ橋を渡ると、長い砂浜に彩られた美しい入り江に入り、海岸から少し離れて都市化が進んだ地域を進みます。そうすると、パソ(ガリシア地方の荘園)、エステアのカストロ(要塞集落)、コルソのロマネスク様式の教会などが見られます。
他の都市でもあるように、ビーゴに向かう道中はとてもややこしいのですが(ラウンドアバウト、工業団地など)、巡礼路はコメサーニャやマタマーの近隣を通過していく静かな道に通じています。
おすすめ
– ア・グアルダから出発するか、広場で眠る場合は、標高341mのサンタ・テグラ山を徒歩で登ってみましょう(3km、1時間)。頂上には、発掘された大きなカストロ(要塞集落)、考古学博物館、聖人の礼拝堂、そして何よりも、ア・グアルダ、ミーニョ川の河口、ポルトガルの海岸の一部を見渡すことができる素晴らしいパノラマが広がっています。トレーニングが嫌いな人、懺悔(十字架の道を進むこと)をしたくない人は、タクシーもあります。
– サンタ・マリア教会や時計台のある市庁舎広場など、魅力的な街角に出会えるア・グアルダの古い漁村の隅々を心ゆくまで散策してみてはいかがでしょうか。また、建設直後にポルトガル人に征服されてしまった(1665年)サンタ・クルス城に登ることができます。最後は港のタベルナに行き、食前酒で仕上げましょう。www.turismoaguarda.es
– 今のところ、オイアの修道院で計画されていたホテルの建設はまだ着工されません。運がよければ、ガイドツアーに申し込んで建物を見学することもできますし、無料で教会に入ることもできます。www.mosteirodeoia.com
– かつてシレイロ岬には2つの灯台がありました。1866年に建てられた下側の灯台、1924年に建てられた上側の灯台ともにルートから外れていますが、巡礼路からたどり着くことができます。山中に配備された沿岸砲台も同様です。運良く夕暮れ時に通りかかることができれば、ガリシア中で最も有名な夕日を見ることができます。
– バイオナは、見どころがたくさんあります。たっぷり時間をとってください。1.モンテレアルの要塞に入ってみるか、少なくとも海に面した城壁の周りを歩いてみましょう。2.マルティン・アロンソ・ピンソンの到着に関する証言や、コロンブスのカラベル船のレプリカを見学しましょう。3.アヌンシアダ教会を含む旧市街を散策しましょう。4. バロック様式の礼拝堂で殉教者サンタ・リベラータの驚くべき歴史に触れてみましょう。5.アントニオ・パラシオスの作品であるビルセ・ダ・ロカのモニュメント像の内部を登ってみましょう。6.バルや旅館が立ち並ぶ古い歴史的な界隈でタパスを楽しみましょう。7.その小さな入り江の1つ、またはサバリスのラデイラビーチでDolce far niente(何もしない喜び)を味わいましょう。www.turismodebaiona.com
ビーゴについて
ビーゴでの楽しみ方
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巡礼者の礼拝
– サンタ・マリア共同聖堂でスタンプを押してもらうことは、単なる儀式ではなく、自分たちも偉大な伝統の一部であると感じさせてくれます。また、中に入ると「勝利のキリスト」があります。この像はシエス諸島近くに浮かんでいたところを発見され、この像に祈りを捧げると、1809年3月28日にナポレオン軍から街を解放することができたために、この名前が付けられたと言われています。この日のことが人々の記憶に定着し、勝利のキリストを讃え、毎年大勢の人々によって行列が行われています。
– 1907年に完成したネオ・ゴシック様式のサンティアゴ・デ・ビーゴ教会は、ルア・デ・ガルシア・バルボンにあります。私たちの使徒は、巡礼者の訪問を心待ちにしています。
必見
– ビーゴ・ベッジョを散策してみましょう。この街の通りは、素朴な漁師町の雰囲気を今に伝えています。特に、柱廊が見事なリベイラ・ド・ベルベスは、巡礼者用のアルベルゲを建設中です。上部にあるプラサ・ダ・コンスティトゥシオンは、快適な歩行者エリアで、テラスがあり、便利な待ち合わせ場所となっています。
– 隣接するルア・ダ・ペスカデリア(通り)で、アルカーデの牡蠣を味わいましょう。牡蠣職人が開いたばかりの牡蠣をその場でいただくことができます。消化不良にならないよう、適度な量にしてください。
– ベイラマール通りに沿って河口を見下ろすようにビーゴ方面に進むと、カンガスやモアニャに渡ることができ、シエス島へ向かう河口のターミナルと、巨大なナダドレス(フランシスコ・レイロ)の彫刻があります。マリーナの隣には、「海底二万哩」の作中でランデの財宝について語ったジュール・ヴェルヌに捧げられた像があり、彼は大きなタコの触手の上に座っています。
– アラメダ、ポリカルポ・サンス、ガルシア・バルボン(1926年に建てられたガルシア・バルボン劇場はパリのオペラ座を模倣したもの)、ウルサイス、商業地区のルア・ド・プリンシペ、または衝撃的な人魚像(レイロ)が立つポルタ・ド・ソルに沿って点在する20世紀初頭の石造りの建物と、繁栄するビーゴ市街などを見てみましょう。
– モンテ・ド・カストロへの登りは最後にします。ここにはローマ時代以前の集落ウィクスの他に、美しい庭園や展望台などもあります。
お勧めは、とにかく足を使うことです。
– Museo do Mar(海洋博物館)。内容はさることながら、何よりも偉大な建築家アルド・ロッシが手がけた見事な建物に魅了されます。
– Pazo Quiñones de León(キニョネス・デ・レオン美術館)。ラガレス迂回路の途中にあります。18世紀に建てられたこの建物には、考古学と美術の博物館を収容しており、ガリシア一の美しさと言われる歴史的な庭園は見事です。周囲には都市の緑の肺と言われるカストレロス公園があります.
– プラヤ・デ・サミル。まるで美術館のようなビーチです。砂浜や水辺まで行かなくても、デッキに沿って進むだけで、奥に見えるシエス諸島の不思議な岩のシルエットを楽しむことができます。
http://www.turismodevigo.org/es/playa-de-samil
– サン・ロケのパソと公園。トライダの迂回路の出口では、河口を見渡す小さな都会のオアシスがあり、街に別れを告げるのに恰好の場所です。https://www.afundacion.org/es/centros/centro/pazo_de_san_roque
ビーゴ – ポンテベドラ間
ビーゴ – ポンテベドラ間(46.5km)
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レドンデラでリスボンから続く内陸ルートに入ると、リア・デ・ビーゴを眺めながら、巡礼路で最も重要な都市のひとつであるポンテベドラに到着します。
当分の間、都市の圧力や騒音などに必要以上に圧倒されなくてもいいように、ビーゴとレドンデラ間のルートには、いわゆるSenda da Traída(センダ・ダ・トライダ)が設置されています。
標識とフォンテ・ダス・モサスが、この道の始まりまで導いてくれます。森林地帯を通って行くと、ランデ橋のある河口の狭窄部やサン・シモンの入り江を見渡すことができます。列車の高架橋が見えてくると、レドンデラまでの下りは一気に加速します。
ビーゴが、そしてカンガスも
レドンデラまでが目に映る
ポンテ・サンパイオもそこに
ポンテベドラの道よ
(流行歌)
レドンデラでは、2つの鉄道高架橋の下を通り、カーサ・ダ・トーレ(16世紀)の公営アルベルゲの横を通ると、スタンプをもらうことができます。次の町はセサンテスです。ビーチからほど近い穏やかな入り江にはサン・シモン島が見えています。
急な坂道を登るロンバやカバレイラの高台にたどり着き、続いてアルカーデの町に向かって一気に下り、ベルドゥゴ川に架かる長いポンテサンパイオ橋に到着します。
逆に、五感で楽しむならば、都市には大きな可能性があります。 「訪れた幸運をつかめない者は、幸運が逃げたと文句を言ってはならない」
このような変化に富んだ地域で、ポンテベドラに向かう途中のカニコウバの道がほぼ手つかずで残ってることに、驚きを隠せません。サンタ・マルタの礼拝堂から1本の道を辿っていけばよいのですが、もう1つ行く価値のある美しい別のルートがあります。ポンテベドラの街の入り口の道は果てしなく続くように見えますが、最後には、機会があれば是非滞在してみたい旧市街が姿を現します。
おすすめ
– Senda de Traída(センダ・デ・トライダ)は、河口を見下ろすビューポイントで、どこまでも続く土地、山から湧き出る小川、鬱蒼とした森林など、思いがけない驚きに満ちています。
– レドンデラを通過する列車の時刻表をご覧ください。もし時間が合えば、1884年に建設されたポンテベドラの高架橋を列車がゆっくりと走り、家々や人々の頭上を過ぎていく様子をみることができます。同時期にできたマドリードの高架橋は、すでに使われていません。http://redondela.gal/es/nuestro-patrimonio
– 王や廷臣の味覚を楽しませてきた牡蠣の宝庫アルカーデでは、現在では筏で養殖されており、ここで牡蠣を食すことは儀式といっても過言ではありません。12個の牡蠣なら、2人でシェアすればあっという間になくなってしまいます。
– ポンテサンパイオに今も鳴り響く大砲の音。独立戦争の中に身を置いてみましょう。ネイ元帥率いる百戦錬磨の部隊に対するのは、ゲリラや愛国者、学生などによる組織化されていない抵抗勢力で、2発目で破裂してしまう木製の大砲で戦っていました。そして、サッカーではよくあることですが、ダビデが勝利し、ガバチョ(フランス人)は退却しました。
ポンテベドラについて
ポンテベドラでの楽しみ方
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うるわしの町ポンテベドラ。彷徨い人はア・フェラーリアの泉に喉を潤す….(流行歌)
….しかも、水だけではありません。
ポンテベドラには、旧市街、巡礼者の聖地、様々な展示の充実した地方博物館、地元の公園、タパス街などがもりだくさんです。少なくとも丸1日を確保するに値する魅力的な街です。
巡礼者の礼拝
– 聖母巡礼聖域。1794年に「Cofradía de Nuestra Señora del Refugio y Divina Peregrina」の命により完成したこの寺院は、帆立貝のような形をした台座の上に建ち、ファサードはバロックを好む新古典主義のスタイルらしからぬ出っ張った形状をしています。まるで、ルイ15世の宮廷、ヴェルサイユ宮殿の舞踏会を前に、前室で着替えているかのようです。ミサ:毎日19:30(巡礼者向け)、日祝日、13:00。
必見
– 素晴らしい旧市街!サンティアゴと、どちらがすごい?史跡としてはかなわないかもしれませんが、調和や整然については負けてはいません。この街は、すべてがきちんとしていて、目に見える所に車一台ありません。欧州モビリティ賞(2013年)や国連ハビタット(2014年)など、数多くの受賞歴があります。ア・フェラーリアやア・レーニャのような広場は、忘れられない場所です。のんびりと散歩するのが一番で、城壁の街から離れて、19世紀のアラメダに沿って歩を進めます。https://www.visit-pontevedra.com
– サンタ・マリア教会。この建物は船乗りのギルドが所有していたもので、現在は小バシリカと呼ばれています。この建物では、後期ゴシックまたはイサベリーノ様式、マヌエル様式の装飾、そしてプラテレスコ様式のメインファサードが、見事に融合しています。
– ポンテベドラ美術館。ガリシア文化を伝える正統派の施設で、異なる時代の6つの建物で構成されています。そのコレクションは、先史時代の宝物からポルティコ・デ・ラ・グロリアの彫像まで、最高の古典絵画からサルガデロスの陶器、カステラオや他のガリシア人芸術家の作品、さらにはフリゲート艦ヌマンシア号の船室の模型まで、非常に多岐にわたっています。
おすすめ
– 正午には食品市場に行ってみましょう。河口付近や大西洋で獲れる魚介類が手に入ります。また、上階には充実した飲食店街が2019年にオープンしており、そこで食事をとることができます。
– クラシックなカフェがお好きな方は、20世紀初頭の数十年間にガリシアの知識人が集った、たくさんの絵画で飾られたモデルノをお見逃しなく。
– また、旧市街では、ワインやビール、タパスを楽しみに出かけることもでき、巡礼という健康的なスポーツを実践するにあたってガリシアで最も適した場所のひとつです。選択肢の数は膨大で、バルの数は300軒以上に及びます。
– もう1日この街に滞在するなら、川を渡ってア・シュンケイラに行き、ア・イラ・ダス・エスクルトゥラス公園を訪れてみてはいかがでしょう。現代の名だたるクリエーターたちによる素晴らしい12の芸術作品が見られます。
ポンテベドラ – サンティアゴ・デ・コンポステーラ間
ポンテベドラ – サンティアゴ・デ・コンポステーラ間(65.2km)
descripción
ローマ時代にはすでに存在していたブルゴ橋を渡ってポンテベドラを出発し、シュンケイラ・デ・アルバからサンタ・マリア・デ・アルバ教会へと進みます。鉄道と並行して、バロのブドウ畑が続く森林地帯に入ります。
いくつかの十字架碑を経て、ムイニャーダ・デ・バローサに近づいていきます。滝や水浴びができる水場の周りに水力ミルが連なり、まるで楽園のような場所です。
平坦な地形が続き、エンパラード(この地方独特のワイン棚)と温泉の街、カルダス・デ・レイスに到着します。
カルダス・デ・レイスからは、ベルマーニャ川に沿ってカラセドまで森が広がり、その後バルガ川に向かって下り、そのまま行くとサン・ミゲルに到達します。
ポンテベドラ県に別れを告げ、ポンテセスーレスの町を迂回してウーリャ川を渡り、サンティアゴの伝統の真の発祥地であるパドロンへと向かいます。
パドロンとサンティアゴの間には、多くの名所があります。まず、イリア・フラビアの古い聖堂、その先に、聖なる泉のあるア・エスクラビチュードのマリアの聖域、パソ・ド・ファラメジョ、その近くに、カストロ・ルパリオ、また、ルア・デ・フランコスの十字架碑も近く、原生林も私たちを魅了することでしょう。
オセベからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでのエリアは非常に都市化が進んでおり、特にミジャドイロからはその傾向が強いです。ここで初めて大聖堂の塔が見え始めます。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの街の入り口は、ア・ロチャ・ベラ城跡の近く、コンショ修道院の前に位置し、エンサンチェを通ってポルタ・ファシェイラと大聖堂に続いています。
おすすめ
– ムイニャーダ・デ・バローサへの迂回はほんの少しですが、その見返りは非常に大きいです。水場に足をひたして涼んだり、美しい滝を楽しんだり、日陰のピクニックエリアや、水力ミルのタベルナで食事をしたりすることができます。これらは、巡礼路での小さなサプライズであり、楽しい思い出となります。
– 近々、公共の温泉プールができて入浴できるようになるカルダス・デ・レイスですが、ウミア川の横には素晴らしい植物園があり、ゆったりとした時間を過ごすのに最適です。
– パドロンは、サンティアゴ伝説のコンペンディウムです。1.サンティアゴ教会は、サンティアゴ信仰のシンボル的要素が数多く、主祭壇の下には、サンティアゴの弟子たちが船を繋いでいたローマ時代の祭壇であるペドロンがあります。2.川の反対側には、サンティアギーニョ・ド・モンテの礼拝堂に登っていくことができます。ここではかつて使徒が説教をし、岩の間に泉を湧かせたと言われています。
…サンティアゴの弟子たちは、地面に飛び降り、船着き場にあった太い石柱に[船]を縛り付けました。石柱は現在ではサンティアゴ教会の主祭壇にあり、この船着き場から200段の階段を登って訪れるすべての巡礼者に崇拝されています。(マウロ・カステジャ・フェレール、1610年)
– パドロンの町の文学的な側面を示す最も顕著な例(マシアス・オ・ナモラド、カミーロ・ホセ・セラ)は、ガリシア文学の真髄であるロサリア・デ・カストロです。中心部から1kmほど離れたカーサ・ムセオは、まさに聖域と呼ぶにふさわしい場所です。ガリシアの魂に触れてみたいならば、是非、訪れてみてください。あなたが旅しているこの国についての鍵となる多くを理解することができるでしょう。
– 旧サンタ・マリア・デ・イリア大聖堂は、ゴシック様式の扉、サンティアゴ大聖堂の回廊を思わせる、アステカのピラミッドにヒントを得た階段状の塔、そしてその傍らにはノーベル賞受賞作家カミーロ・ホセ・セラが眠る哀愁漂うアディナ墓地があります。
– 健康を維持したいのであれば、ア・エスクラビチュードの聖域の泉で水を飲むといいでしょう。この聖域に設置された階段を上ると、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂に似たバロック様式の巨大なファサードが現れます。オブラドイロのものと似ていますが規模が異なります。
– オ・ファラメジョへの石畳の道を上る前に、もう1つの迂回路として、偉大なカストロ・ルパリオ(600m)をお勧めします。ここには、使徒の埋葬を全力で妨害したが、最後には改宗したという異教徒の女王にゆかりのある場所です。この迂回路では、オークの木立に囲まれた広大な遺跡が見ものです。